広瀬栄一コレクション拓本1-2●昭和39年 永仁3年(1295) 茨城県石岡市 万福寺 仏像銘 封筒付 240601 古文書 [49261870]
広瀬栄一コレクション拓本1-2●昭和39年 永仁3年(1295) 茨城県石岡市 万福寺 仏像銘 封筒付 240601 古文書
[49261870]
販売価格: 12,040円(税込)
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商品詳細
商品説明
萬福寺は1480年(文明12年)常陸在庁官人の税所貞成(さいしょさだなり)が開基となり、税所氏の菩提寺として開山したと云われています。寺裏には五輪塔数基が残っていて税所氏の墓所と云われています。寺宝としては県指定有形文化財の阿弥陀如来三尊像が安置されています。1295年(永仁3年)に造られた、この銅像は典型的な善光寺式三尊像で、阿弥陀如来が観音菩薩と勢至菩薩を脇侍としています。また、寺の南西の畑の中に茨城(ばらき)童子の巾着石と呼ばれ、近隣の茨城(ばらき)廃寺の塔の露盤と云われる、一辺が1.1mの御影石を観ることができます。出典:石岡市観光協会ホームページ
広瀬栄一氏は、石岡市高浜にある酒造会社の元社長で考古学文学に造詣が深く文人との交流も数多くあります。台東区根岸にある子規庵の戦後の再建をした寒川鼠骨との交流や再建を経済的に援助した人です。
拓本は広瀬氏が収集したものしかないと思われ大変貴重な史料です。拓本が取れるという広瀬氏の人脈に驚嘆します。拓本もまた文化財だと思います。
額に入れて鑑賞して下さい。
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てれば大変嬉しいです。
写真にあるスケールは全長17㎝です。句碑のサイズは34.5×67.5㎝です。状態は経年によるシミヤケや破れがあります。発送は追跡可能なクリックポストを予定しています。
(2024年 6月1日 17時 30分 追加)
貝地の高浜街道のばらき台団地入口に万福寺があります。万福寺は曹洞宗光林山万福寺といい、文明6年(1412)税所(さいしょ)貞成の開祖とされ、その後税所(さいしょ)氏の菩提寺となった。この辺りに税所氏の屋敷があったと考えられています。税所氏は、常陸国の税や官物の収納をつかさどる役人として、その地位を固め大きな力を持っていました。寺の裏には税所氏代々の墓があり、五輪塔や石塔が多数建っています。また税所氏は百済の朝臣であったと寺の位牌に残されています。始めのうちは百済氏が税をつかさどる官職に代々ついてきたので、役職名から税所氏と名乗るようになったものと思われます。また青屋祭の司祭を世襲化させています。この地域は茨城県の名前発祥の地ともいわれ、茨城と書いて「ばらき」と読ませています。また隣りの貝地は昔「廨地」と書き、役所の税や文書管理をしていたことを表わしています。朝鮮半島南部に存在した百済は西暦600年に唐により滅ぼされた。その時、関係の深い倭国(日本)には数千人の百済人が逃げてきたといわれており税所氏との関係があったのかははっきりしていない。本尊は善光寺式銅製の阿弥陀如来三尊立像で、県の文化財に指定されています。阿弥陀如来及両脇侍立像、銅造鍍金三躯。像高は中尊49.2cm、観音33.8cm、勢至33.5cm。
永仁3年(1295)の造立銘があり、典型的な善光寺式阿弥陀三尊像である。三尊とも一鋳からなり、中尊は蟻柄差し、両脇侍は両肩蟻柄差し。
宝冠正面に化仏などを差し込んだ穴が残っている。
中尊像内の心木には年紀のほか、檀那・勧進僧・大工などの人名が記され善光寺式の基準作の一つである。出典:歴史の里石岡ロマン紀行
広瀬栄一コレクション拓本1-2●昭和39年 永仁3年(1295) 茨城県石岡市 万福寺 仏像銘 封筒付 240601 古文書
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